もう、どうすれば良いか、わからない。
二人とも、わたしの気持ちなんかお構いナシって感じなんだもん。
ただ今のゲームの支配者は、不二くん。
勝負の行方は神のみぞ知る
「ああ、もう…!」
なぜ、こんなことになってしまったんだろう?
そんなこと考えて、ぱっと浮かんでくるのは、先ほどのこと。
今日は、関東大会決勝戦。わたしたちは、常勝立海!に燃えていた。そのために頑張って頑張って練習をしてきたし、辛い訓練にも耐えてきた。それは、一つの約束があったから。―――それは、部長である、幸村くんとの、約束。絶対勝つと、皆で約束したんだ。そして、それと同様に自分も手術を頑張ると、幸村くんも約束してくれたんだ。
…だから、わたしたちは、誰にも負けてはいけない。そう強く決意し、この決勝戦にも臨んだ。…氷帝を倒したという、青学に勝つために!
彼に出会ったのは、決勝戦が始まる、少し前のことだった。何が彼のお気に召したのかわからない。彼は、他愛も無い話をして(それこそ、全然世間話だったはず)、別れ間際に、言われた言葉。
「僕達、気が合いそうだね」
その笑顔に少し、ぐらっときたのは多分、それが凄く綺麗だったから。その笑顔は、なんていうのかな、ウン。うちの部長に負けないくらい…の、それで。ドキドキすると同時に、ビクビクもした――なんて言えない。そんなことを考えていると、彼が一歩わたしに近づいてきて。
「付き合ってみない?」
と、どこぞのナンパかってくらいの軽い台詞を一つ。普通だったら、は?って感じで冷めた視線を送るのだけど、生憎、その整った顔立ちと、さらりとした台詞に、顔が蒸気するだけだった。目の前の彼は変わらず笑顔だ。にこにこにこと、貼り付けたような笑顔が何とも幸村くんに似ている。突然の言葉にわたしは返事をするのが少し遅れた。
「こ、困ります…」
ぽつ、と呟いたのは、お断りの台詞。けれど、彼の表情は崩れない。にこっと穏やかに微笑むそれに、やっぱり顔に熱が寄る。ああ、ほんとかっこいいなぁなんてちょっと見惚れてしまったのは、きっと誰にも言えない。突然過ぎたよね、と悪びれた風も無く言い放つ彼の言葉に、やっぱり困惑。どうすれば良いんだろう。そんな考えがわたしの中を支配し始めた。すると、後ろからかかる声。
「先輩!」
同時に感じるのは、抱きしめられた感触。後ろからぎゅっと抱きつかれて、またまた困惑。こんなことするのは、ブン太くんか、彼か…。そう考えて、わたしのことを先輩なんて呼ぶのは一人しか居ない。
「赤也くん?」
名前を呼びながら振り返れば、笑顔の赤也くんだ。正解!なんて笑う姿は弟みたいで可愛らしい。思わず笑顔になりそうになったけども、すぐ近くにいる彼のことを思い出して、笑顔が強張った。そんなわたしの態度を不思議に思ったのか、赤也くんがキョトンって言う顔した(可愛いな、もう!)首を傾げてみせる赤也くんに一つ笑みを零して、軽くわたしは赤也くんの胸を押した。離れて、と言う意味は赤也くんに伝わったらしく、おとなしく離れる。
「あ、て…わけなので、わたしそろそろ…」
それから振り返って彼に言えば、彼は不思議そうな顔をしていた。?と彼の表情に疑問が浮かぶ。すると、彼はわたしから視線を外して、わたしの後ろにいる赤也くんを見据えた。
「…もしかして、彼氏?」
「えええ!」
その言葉に大声を出したのは、勿論わたしだ。突然の彼の言葉に、思わず開いた口が塞がらない。後ろにいた赤也くんはいつの間に来たんだろう、わたしの横に立って、笑っている。違うよ!とどもりながら否定すると、目の前の彼がにっこりと笑った。それから、「よかった」なんていう始末。ああ、もうわけがわからない。ここら辺からわたしの脳みそは軽いパニックを起こしかけていた。でもそれをもっと大きくしたのは一つ年下の少年の言葉。
「う、先輩はそう言ったけどな、一番の彼氏候補なんスよ!」
「赤也くん!」
いつの間に彼氏候補に!なんて思って、赤也くんの名前を呼べば、へへ、と笑う彼の顔が目に映る。はっきり言って、赤也くんはかっこいいと思うし。わたしに懐いてくれてたみたいで可愛いと思ってしまう。でもそれは、なんていうのかな?後輩愛…ていうの?家族愛みたいなものに近い感じで、悪いけど、恋愛で考えたことなんかなかった。…赤也くん自身もそんな素振り見せなかったし。だから、からかわれてるんだ、って思ってた。
「冗談はダメだよ」
「冗談じゃないっスって!」
わたしの言葉を間髪いれずに赤也くんが返す。むう、と眉を寄せてわたしを見るそれに少しだけドキっとしたり。そう思って、うう、ダメダメダメ!とすぐさま自分を叱咤する。わたしはそんな惚れやすい女じゃない。…まあ、かっこいいなーとかときめいたり、はあるけど、それは恋じゃないもの、ウン。そう言い聞かせていると、わたしたちの会話を黙って聞いていた彼が、くすりと笑った。
「じゃあ、切原と僕はライバルだね」
いつの間にそんなことに!と言うわたしの気持ちを無視して、赤也がようやく彼を見た。それから怪訝そうな顔を作る。その表情にさっきまでの人懐っこさはない。まるで赤目になったときのような怖さを少し感じさせた。それから大きな瞳が細められて、彼を見据える。
「…何?不二さんも狙ってんの?」
「うん、気に入っちゃったから」
機嫌が悪そうな赤也くんに対して、やっぱり笑顔の彼。ていうか、わたし未だに彼の名前を知らないんですけど!それなのに、それなのに付き合ってとかほんとありえないと思いながらもかっこいい人から告白された経験なんて無いわたしにとっては運命を揺るがす出来事間違いナシで。また、顔が赤くなる。そんなわたしを見た赤也くんが「先輩!」ってわたしを呼んだ。はっと我に返って赤也くんを見れば、口を尖らせて、少し拗ねてます的な顔。
「あ、えと…」
違うんだよ、といおうと口を開くものの、多分こんな真っ赤な顔で否定したって信じてもらえないだろうし、説得力が無さ過ぎる。しどろもどろになりながら両手を弱々しく振ることしか出来ない。赤也くんはわたしの行動一つ一つを見て、それから小さくため息をついた(呆れられちゃったかも?)
「んなこと言うんなら勝負しましょうよ」
「勝負?」
「ええ。丁度良いことに、俺とアンタはシングルス2で対戦なわけだし。得意のテニスで勝負しましょ」
「良いね」
わたしの意見なんかきっとどうでも良いんだろう。二人して始めちゃった話にわたし一人ついていけない。ただ、その"勝負"って言うのはきっと穏やかではないことは間違いない。不敵に笑う二人の顔に少し怯えてしまったのは、きっと前兆。
「勝ったほうが、先輩の第一彼氏候補ってことで!」
「負けたほうは潔く諦めるってことだね?」
「うぃっす!」
「ちょ、ちょちょ、ちょっと!」
やっぱり。と思った。穏やかであるはずがない話はなにやら良からぬ方向へと進んでいった。わたしの気持ちなんか無視して。慌てて会話に入るものの、黙っててなんて二人から静止させられて、結局口を噤んでしまったわたし(なんでわたしがそんな!)
今までモテなかったわたしに神様からのご褒美のつもりなんだろうか?…全く迷惑きわまりない。
「んじゃ、そういうことで、不二さん。もし次会うときは、コートっすね」
「うん、うちの乾は勝つよ。だから楽しみにしてるよ、切原」
こうして、わたしの意に反した賭けが幕を開けるのだ―――――。
「ああうううう…」
「すげーゲーム運び」
隣にいたブン太君がガムを噛みながら感嘆な声を上げた。わたしは気が気じゃないわけなんだけど。…だって、試合すぐして、赤也くんの目が赤くなってしまっていたから。
ただ今リードは不二くん。あの時名前を初めて聞いて、吃驚した。青学の、天才と言われるプレーヤー。勿論、知っていた。(ただ、顔を知らなかったのだ)勝負はきっと五分五分だろうと予想される。本来なら、わたしは同チームである赤也くんを応援するところなんだけど、そうも行かない。
それは、さっき決まった賭けの所為。
ここで、赤也くんを応援したらきっと誤解を招いてしまうことは必至だ。かといって、不二くんを応援するのは敵チームとしてあってはならないこと。それ以前にわたしは不二くんに惚れていないのだけど。(かっこいいとは思ったけどね!)
な、何よ何よ何よ!二人してわたしの気持ち無視して!
二人に言いたいことは山ほどあるはずなのに、出てこないのは混乱しているから。わたしはマネージャーである仕事の一つスコア付けをしながら、むしゃくしゃする気持ちを抑えていた。周りのレギュラーがおおお、なんて歓喜の声を上げる。それだけでも神経が逆なでされる思い。
すると、急に回りの気配が変わった。ぱっとスコア表から顔をあげれば。…ヤバイ事態。
本気なのは嬉しいけれど、それはヤバイ。あの顔はヤバイ。なんていってもこの前不動峰の橘くんに怪我をさせたばかりだ。赤也くん!と叫ぼうとした瞬間、時既に遅し。赤也くんの放ったボールは見事に不二くんの顔めがけて飛んでいった。
大きな砂埃が舞う。視界が一気に悪くなって、目を細めた。
―――無事だろうか
一番初めに思い浮かんだ言葉はそれだった。相手コートをただひたすらに見つめる。外野が大声を出している。不二くんを心配している後輩の声が、耳に届く。ああもう、なんて赤也くんのほうを見れば、悪びれもしてない顔。未だに真っ赤に充血させた目が、痛い。
こうまでして、勝ってもらったって、嬉しくないって言うのに。ズキっと痛む胸を押さえる。…こんなんじゃあ、幸村くんにどう報告すれば良いの?正々堂々と頑張って手術を受けるであろう部長を思う。
顧問の女性と不二くんとで話し合って、試合は続行になった。…どうやら大丈夫そうだ。ほっと安心の息を漏らす。
けど、それは間違ってるんだと、思い知らされた。先に見えるのは、一方的な試合。優勢だった不二くんは一気に赤也くんに追いつかれて、あっという間に追い抜かれてしまった。一気にゲームメイクは4-3
さっき、赤也くんが言った言葉が本当なら、不二くんの目は今、視えていないらしい。
つかず離れずの試合が繰り広げられる。どんどん白熱していく試合。いつの間にか赤也くんの目からは赤みが引いていた。楽しそうな試合に、心が震える。二人の「勝つ」って気持ちが凄く良く伝わってくるのがわかった。
ゲームは、また不二くんの優勢に変わった。マッチポイント。後ワンポイント獲ったら不二くんの勝ち。それを凌いで、赤也くんがゲームを獲ったらタイブレーク突入だ。時計を見る。幸村くんの手術があと少しで始まってしまう。
心持穏やかでいられなくなってきて、ペンを握る手が、カタカタと震えた。
「…」
不意に、名前を呼ばれて顔を見上げる。そうすれば、真田くんの堅い表情。いつもと変わらない…ううん、それ以上に気迫に満ちた顔が目に映って、ゴクっと喉が鳴った。ぽん、と背中に添えられる掌が、大丈夫だって無言で言ってくれてるような気がした。わたしはコクンと肯いて、また試合のほうに顔を向ける。
どちらが勝つのだろうか。未だにゲームは終わらない。けれども、これだけはわたしの中ではもう、初めから決まっていた。
長い、ラリーが続く。どちらとも一歩も譲らないその姿勢に、ドキドキした。けど。
ごめんね、不二くん、赤也くん
わたしを好きだと言ってくれた貴方達に、小さく心の中で謝る。初めに、言っておけば良かったのかも知れない。そんなこと今更思っても遅いけれど。それに、言えるはずもなかったのだ。赤也くんには、特に。
どんなに想われたって、どんなに好きだって言われたって。わたしの心の中にいるのは一人だけだから。
だって彼氏候補も何も、わたしは今、真田くんと付き合ってるって言うのに!
熱い熱いゲームはまだ終わらない。終わったあと、二人はどんな表情をするのだろうか。
少しの憂鬱さを隠して、わたしは二人のゲームを見守った。隣に、最愛の彼氏のぬくもりを感じながら―――。
― Fin